オホーツク方面へ その2 [鉄ネタ]
急遽、午前中時間が空いたので暇つぶしに、旧国鉄湧網線の史跡見物に行きました。
まずは卯原内(うばらない)駅跡です。
SLが走っていたのは昭和40年代までなので、どこかからSLと客車を持ってきたのでしょう。
線路跡はサイクリングロードに転用されてました。
SLのシリンダー部です。
こんな小さな部分から500馬力以上のパワーを出していたのです。
大きなボイラーなど蒸気を作る部分が大掛かりなだけに改めて眺めるとびっくりです。
機関車のナンバープレート。SLは9600型という大正時代から作られた機関車です。
後に登場するD51(いわゆるデゴイチ)よりパワーは劣るものの、車重が軽いためD51が走れないローカル線でSL末期まで使われた機関車です。
ボイラーの番号は違うようなので、他の機関車から転用したのでしょう。
SLは機関士と機関助手の二人乗務で左に機関士、右に機関助手が座ります。
まずは左側の機関士席から
視界はたったこれだけ!
これでは右側が全く見えないので機関助手の乗務が必要になります。
機関助手の仕事は右側の安全確認と石炭投入です。
右側の機関助手席です。
左右の視界を合わせても必要最低限です。
機関士と機関助手の息の合ったコンビネーションが要求される仕事です。
客車内はライダーハウスとして利用されていたようです。
最近はライダーを見かけなくなりました。たまに見かけても白髪の方がほとんど。
知人の40代のバイク乗りに聞いても、バイク仲間の集まりでは若い方から2番目とのことで若者には人気が無いようです。
駅名表示板です。廃線後に作られた気配が濃厚です。
ここには鉄道記念館が併設されているのですが閉鎖されており中に入ることは出来ませんでした。
当地はサンゴ草群生地としても有名です 。
9月下旬が見ごろですが数年前に実施したサンゴ草保護のための環境整備事業が裏目に出て
サンゴ草の育成状態が悪化しているようです。
北見平和駅跡です。
このあたりにホームがあったそうですが跡形も無くなってます。
周辺は民家が数件だけ。
場所を移動して常呂(ところ)駅跡に建ったバスターミナルへ行きます。
常呂町は町村合併で隣の北見市に吸収されましたが、北海道ではカーリングの町として知られてます。
ソチオリンピック代表の北海道銀行チームもほとんどがここの出身選手です。
バスの時刻表を見ると栄浦行き(サロマ湖畔の旧常呂町エリア)、北見行き、網走行き(国鉄湧網線廃止転換バス)だけです。
そうです、湧網線転換バスの佐呂間町経由して湧別、遠軽へのバスがありません。
何と転換バスまで廃止されてました。
これが北海道の過疎の現実です。有効な過疎対策や利用向上策が執られなかったからでしょう。
このような地域は地元の差別化戦略の乏しさが目に付きます。
これでは太川陽介、蛭子能収が路線バスの旅に来ても足止めを喰らいます。
時間つぶしにカーリングをしてもらうしかありません。
バスターミナル2階は鉄道記念館でした。バスターミナルの方に申し出ると開錠してもらえます。
まず、時計。廃止の際に旭鉄局(=国鉄旭川鉄道管理局)から贈られた物なのでしょう。
廃止直前の常呂駅時刻表。
1日5本じゃ廃止ですね。
オホーツク海側の町同士のつながりの薄さを感じます。
みんな札幌ばかり向いているのでしょうか。
いろいろな切符が展示されてました。
かつて、汽車旅に欠かせなかった周遊券。
あまりの儲からなさにJRはとっとと見切りをつけて廃止したくらいです。
ギャラリーは私だけだと思ったらもう一人いたようです。
乗車券箱です。ここから硬券が出てきます。
東京都千代田区 岩田製作所。今も存在しているのでしょうか?
展示コーナーはこのような感じです。
硬券の数々。
廃止の際に使いきれなかった分でしょう。
実際に使われていた駅の看板です。
海鮮と鉄分をたっぷり補給して、このあと仕事先へ向かいました。
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